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1965 夏 臼田にて。

1965 夏 臼田にて。

高校3年の夏、父の妹が嫁いだ佐久市臼田町の座敷で、今後の進路を父と話している頃です。この家は武家屋敷として文化財保存対象となるほどの造りですが、子供の頃からよく訪れては悪戯三昧で、今もその名残があちこちに残っています。


1965 秋の体育祭 クラス対抗リレー

1965 秋の体育祭 クラス対抗リレー

高校最後の体育祭は、盛り上がりました。私のクラスにはラグビーで俊足の井上宏一君も居たので優勝となりました。私はこれからバトンを渡すところですが、渡す相手が誰だったか、すっかり忘れてしまいました。


1965 教室にて。

1965 教室にて。

授業の間の10分間は、短いながらも短いなりの遊びを見出す名人も多く登場するのが時代を超えた常でありますね。星君・東君・高野君(女優・高野千穂さんの父君)などなど、お勉強もトップクラスなら、遊びもなかなかの達人だったのです。


1966 銀座・秀山荘

1966 銀座・秀山荘

すずらん通り・交詢社ビル一階にあったスキーと山の店、『秀山荘』は暮れになると
真面目な三菱系、柔軟な電通社員から東宝映画の俳優さんにいたるまで、客筋も多岐に亘り、社会勉強に好都合でもありました。納品も自宅直送や会社に届けるなど大忙しでしたが、店主のミニクーパーで納品するのはかなり嬉しい気分だったのです。
集金は、当時年末一括払いが古くからの銀座の慣習で、札束と釣銭を入れる大きなバッグを肩に掛けて勇んで闊歩していました。この店のインテリアは辻まことさんのデザインでしたが、今はバーニーズとなっています。


1969春 町ケ沢スキー大会

1969春 町ケ沢スキー大会

慶應ボーイの関根誠君(左)と谷川岳・町ケ沢スキー大会に向う途中の新緑も
眩しい峠道で。比較的高収入のバイト掛持ち稼業で購入したブルーバードSSSは、
メリハリのあるドライブを愉しめました。今も、名車といわれる所以が分かります。


1969 石の湯の春

1969 石の湯の春

3月は春スキーの最高な時季ですから、宿泊とアルバイトを兼ねた
長期滞在の勝手気ままな連中ばかりで、石の湯ロッジも迷惑だったでしょう。


1962 中学卒業アルバム撮影

1962 中学卒業アルバム撮影

皆でジャンプしようという意見が決まり、一発勝負で撮影したのですが、
こんなに上手く決まるとは思いませんでした。


1974 志賀高原 石の湯

1974 志賀高原 石の湯

1974年春 志賀高原の桃源郷 石の湯スキー場の頂上から斜度40度に挑戦。


1963 夏 自転車部昇格の一大パフォーマンス

1963 夏 自転車部昇格の一大パフォーマンス

高校一年にワンダーフォーゲル部に貼りついていた自転車同好会を部に昇格させるため、一年生が主体となって8月3日から11日にかけて、群馬県・渋川から山梨県・韮崎までのハードなツーリングを決行。この写真は八ヶ岳が一望できる海ノ口近辺でキャンプした翌日の記念写真です。疲労も最高潮になっている様子が全体に分かります。
現在もアメリカ大陸横断・中国縦断など鉄人ぶりを発揮している佐々山君の若き勇姿(右から3番目)もあります。部長の浅野先生のルンルンな雰囲気だけが異質ですね・・・。


1963 夏 自転車もぬかるみでは走れない。

1963 夏 自転車もぬかるみでは走れない。

このツーリング合宿で唯一、時間と距離・高低さを読み違えたのが二日目の8月4日です。この日は伊香保から高峰高原というかなりの強行軍でしたが、途中このようなぬかるみを自転車を押しての行軍という予期せぬ状況もあって、時間も大幅に遅れ、宿泊予定の高峰高原を断念して、上州三原の『岩井屋』という旅館にグッタリとなって倒れこんだのです。


1965 高校文化祭

1965 高校文化祭

高校最後の文化祭は最高でした。フォークギターを持って登校するにも生活科主任・藤本先生の許可を得なければならない時代でした。時代はフォーク・エレキ・ビートルズの音楽三大トレンドのど真ん中でした。私はすでに中学二年からカントリー・ブルーグラスに聴き入っていたこともあり、有志とフォークバンドを作り、突貫工事のような特訓練習の毎日でした。
ブラザースフォーの曲が主なレパートリーで一生懸命練習しましたが、当日の会場は他の女子高生徒が押しかけ予期せぬ大盛況となり、部屋も閉め切ったために酸欠状態になりました。
左の上原さんは現在、某テレビ局系音楽出版社の社長で、大学に行かれてからカレッジ
フォークバンド「フォーセインツ」を結成され、あの名曲『小さな日記』『希望』を歌いました。
あまりの盛況にあがってしまった私達は、正面向って歌う約束など消し飛び、ひたすら下を向いて歌うのみでした。