2012年4月22日 (日)

花菖蒲とは!

Rimg41518言われてみればわかるというよりは、言われてみても分からないのが多いこの世の中ですが、名物茶器や茶碗の世界ほど難解ではないものの、和菓子の世界にも極く稀ではありますが名前と形が一致しないものが登場いたします。
さしずめ、「赤坂塩野」の『花菖蒲』などもその典型でしょう。どこが花菖蒲だか皆目見当のつかない御仁は、もう、感性の経年劣化が頂点に達したも同然ですから、静かに世俗のうごめく環境から一歩引いて、密かに生きるしかありません。

日本の四季折々のモチーフを、和菓子として造形化する類まれな技術と、抽象化するセンスが相まって、「塩野」の和菓子は赤坂花柳界を贔屓にして育ちながらも、風雅な装いと江戸の流れを受け継いだ粋で洒脱な感性が響き合っています。

しかし、花菖蒲といわれたところで、素直には頷けませんね・・・。

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2012年3月 3日 (土)

金雲を手元に・・・。

Photo 京都・十松屋福井が能楽五流の家元の絶大な信頼を背に受け、京舞の名手、四世井上八千代をはじめ、能・狂言の師匠等が愛し使った扇の意匠は、モダンなどという軽々しいキーワードが憚れるほどの品格と典雅が薫っています。

金地に雲を抽象的に、絶対ポジションに収めたのに、大きな天空が見えてきそうです。京都の大旦那さんたちはこの扇の金と雲を金雲=金運と俗っぽく意訳し、新年の縁起を担ぐという意味で、『金運を招く』として有難がったという逸話もあるようです。

シンプルな素材構成の中で十二分にグラフィックデザインの妙味を忍ばせ、美術授業への応用としても実用的です。

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2012年2月21日 (火)

光琳 鶴の乱舞

Photo この数年、錫という金属をどうすれば装飾指向の商品にすることが出来るか・・・、ということに没頭し、高岡のメーカーと試行錯誤を重ねていました。原型を作る職人さんの感性や、抜き型の素材などなど、課題が多く、何度も挫折しかかったのですが、奇跡のようにそこをすり抜け、ようやく商品化にたどり着きました。その間、日本の古典的装飾意匠を勉強し、中でも、琳派の光琳・光悦・宗達の意匠構成、デフォルメに改めて、感心させられたのです。

この鶴の意匠もそのひとつですが、月と波の間を悠々と飛ぶ鶴の群舞が間の取り方からして、みごとというよりほかありません。平面の中に月と波という天空と海を合体させ、巨大なスケールを象徴するなど、限られた中での潔い構図は和モダンなどという呼び方をしては失礼なほど、発想と飛躍、そして定着が宇宙的に飛んでいる(トンデイル)のであります。

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2012年2月20日 (月)

三保の松原から富士山を・・・。広重

Photo 広重や北斎が描き、名所観光振興に一役買った作品の展覧会があれば出かけていましたが、版画という作品の性格上、ガラス越しでしか観ることが許されず、微妙な表現を確かめることも間々ならないのが残念です。

この作品はあまりに有名すぎるほどの完璧構図で、静岡県・清見ケ原から富士山を望むものですが、三保の松原の松葉のかたまりの表現が軽ろ味を帯びて、風を感じます。よく泰西名画と呼ばれるカテゴリーがありますが、これもその中にノミネートされるべき一枚でしょう。この構図をアレンジして左右反転させ、よりビビッドな色調で描けば、風呂屋の壁画の定番として、よく見かけたものですね。タイトルの位置、落款の収まりなどは相当なアヴァンギャルドな配置で、ここに広重のやんちゃ振りが垣間見れます。

夏は無論のこと、一年中飾っておいて、天下泰平を願うには欠かせない画風なのであります。

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2012年2月16日 (木)

明治初期 芝口より虎ノ門

12_3 深々と降るなかの静かな光景です。雪景でありますが、何か温かみさえ感じるのは、漆黒の空が黒紫あるいは紫藍という色味から来るのでしょう。井上安治の力量による下絵と版・顔料の指定がきびしかったからこそ成し得た、江戸浮世絵の技術の進化 したカタチがここにあります。

外堀を跨ぐ橋は土橋と思われ、遠くに見えるは帝室林野管理局(現在の文部科学省辺り)です。井上は多くの雪景を描いていますが、この一枚などは明治10年前後の頃、景観の新旧著しい様を捉えていて私の好きな作品です。さらに井上の素晴らしさは、江戸浮世絵から踏襲した人物配置で、その構図における絶対バランスはここでも冴えわたっていますね・・・。

1904 この画像は1904年(明治37年)、築地の海軍大学校上空に上げた気球から、市岡技師の撮影による新橋ステーションから愛宕山を望む光景です。中央部分に高架鉄道建設中の模様が記録されていて、その右手、外濠と交差する土橋もよく観えます。

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2012年2月14日 (火)

広重 『江戸の華』下巻-11

Hirg11b火事は延々として燃えているが,風上側の町では延焼の危険も少いことから,火事場で働く人々,火事場から逃げ てきた人々,火事見舞の人でごったがえしたようであった。これらの人々は長時間にわたって動き廻ったことから空腹を訴え,その需めに応じてこのように屋台 の店やかつぎのそばやが集り,大いに繁昌したようで,大火の裏面を画いた江戸風俗をよく表現しており,〝立斉〟の記名は初代広重の作であることを証明し, この21点で終わっている。               

火事に限らず、人生の中の思いもよらぬ事件・事故に遭遇してしまうと火事場の馬鹿力の例えのごとく、気がつけばヘトヘトになっていた・・・などいろいろありますよね。今ではこのような状況下、コンビニ・ファストフードが主役ですね。

これですべておしまいですが、火事の記録としての価値もさることながら、風俗史史料としても一級品ですね。

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2012年2月13日 (月)

広重 『江戸の華』下巻-10

Hirg10b"江戸乃華"下巻の終りの2点は,火事もようやく収まった頃の様子を画いたもので,全21点は火事を発見して 知らせる絵に始まる,江戸の火事の様子を一連の絵物語風に画いた作品である。この絵は,火事が収まり,焼跡の始末を始めたことを画いたもので,点々と見え る札は〝消口〟をとった組の名を記した札で,鳶の者たちが早速板囲いや跡かたづけに精を出している様子が克明に画かれている。この絵のように,当時の火消 たちは火を消すだけでなく,鎮火後も火事場の跡かたづけに働いたことがよくわかる。               

鳶職は今では建築現場で棟上げか、昔の東京タワーの建設映像程度しか記憶にありませんが、この時代からの伝統は受け継いでいるのですね。

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2012年2月12日 (日)

広重 『江戸の華』下巻-9

Hirg09b_2大火になると一日中燃えつづけ,翌日まで延々と燃えることは,この時代にはごく当り前のことであった。従って火事に出動した火消達に弁當を配って頑張らせ たもので,各組の提灯を掲げて火事場の近くまで弁當を届け,自分の組の者をこの提灯で見つけだし組の者に給食した。火消達が働いている川を隔てゝ,提灯を 掲げて弁當を持参している所を題材にしたこの絵は,前の“火がかりの図“とともに,江戸の大火における火消達の活躍を余すところなく画いた名作である。

昨日に続く火事現場中継のリアリティー!。火消しのシフトがよく分かります。ずいぶんと訓練された様子が分かり、この伝統が今日の地域消防団にも繋がっています。今も平日を問わず、しょっちゅう、訓練していますよね・・・。

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2012年2月11日 (土)

広重 『江戸の華』下巻-8

Hirg08b江戸町火消は「いろは48組,本所深川16組」からなり,いろは48文字を組名にあて「へ,ひ,ら,ん」をきらい「百,千,万,本」を当てていた。この絵 は,その万組を合せた5組の1番組が,火がかりをしている絵で,当時の火消は纏を定められた屋根に上げ,組の者が必死に水をかけることにより消し止め, 「消口」をとることを名誉としたものであった。火炎の中で頑張る纏持の勇壮な姿を画いたこの絵は,広重が画いた江戸の華の火事絵のハイライトである。

広重『江戸の華』上巻下巻合わせて21枚の火事絵の中で、炎と闘う火消しの晴れ姿を描いたライブ感満載の一枚です。

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2012年2月10日 (金)

広重 『江戸の華』下巻-7

Hirg07b 「ヂャン」と半鐘が鳴り,風でも強ければたちまち燃え拡がり,大火になるというのは,火消時代の都市ではごく当り前の事だった。やがて火は延々と燃えさか ると,風下の町の人々は安全な場所に逃げるしか手がなかった。この絵は,江戸でも特に大火の多かった吉原の遊女が燃えさかる大火を見て〝かご〟で逃げのび るところを画いたもので,江戸の華・下巻その三の〝諸侯奥方御立退之図〟と合わせてみることにより,武家と庶民の女性を通じて火事とのかかわりをみる興味 深い火事絵である。

吉原遊女については火事にまつわる悲しい事件・事故も多いようですが、多くの事実は闇に葬られています・・・。

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